国旗損壊罪の新設で考えた日本人のアイデンティティ

日本を侮辱するために日本の国旗を破壊することを禁じる国旗損壊罪の新設を巡って、随分議論が起こっているようです。右翼はこれに賛成し、又左翼は例にならって大反対するものだから、侃々諤々の論争になるのも想像に難くないでしょう。

なぜこのタイミングで新設するのかは甚だ疑問に思うところですが、日本も国民国家として外国と交際をしている以上、面子を守るという意味で侮辱を禁止するのは当然のことでしょう。外国で国旗への侮辱に罰則があるのは当たり前のことで、例えば中国で国旗を破壊しようものならたちまち公安がやってきて、どんな目に遭わされるのかすら分かったものではありません。

ところが私は日本の国旗を前にして、「私は日本人だ」と思うのがどうも苦手です。というか日本人としてのアイデンティティ自体が希薄です。国への帰属意識が無いからか、例え韓国人に日本の国旗が侮辱されたとしても、焼かれたとしても、日本の価値が変わるとは思えない。だからなにかやむを得ない事情があって、かつてこの国で嫌なことがあったとして、旗に八つ当たりをした程度のことで「罰せられてしまう」というのは少し不寛容だな、とも思うのです。

では何故突然そんなことを言い出すのかといいますと、かつて各所を転々としていた頃、日本人のアイデンティティについて随分考えさせられることがあったからです。事の始まりは神奈川県の高校を卒業して、京都の大学に進学したこと。行かなければならなくなったと申したほうが良いでしょうか、まぁとにかく地元を離れて京都で暮らす事になったのです。

京都というのはかつて日本の都があった所ですから、城やら寺社やらが沢山ありますよね。区画や通りも古いですし、地名なんてろくに読めやしない。関東の郊外出身ですと、「日本的なもの」に触れる機会なんて無いに等しいですから、最初のうちは新鮮で毎日出歩いたのを覚えています。

京都で失った日本人としてのアイデンティティ

ところが学生生活も2年目を迎えた頃、私は京都という街に強烈な違和感を覚えるようになりました。ごく最近まで「古い日本」だと信じて疑わなかった京都が、急に日本ではないように思え始めたのです。京都の起源は韓国だ、なんて韓国人のようなことをいいたいわけではありません。ただ京都が、日本以前の場所だということに気付いてしまったのです。

それ以来、私は急速に「日本」という言葉に疑問を持つようになりました。今自分がいるこの街には、古き良き日本である筈のこの街には、日本という言葉自体が似合わない。行く先々で言葉を交わす人々は、日本の常識とはやや違った思惟で動いている。今まで自分が「日本」だと信じて疑わなかったもの、それは単に東京を中心とする関東近郊の性質やあり方に過ぎず、それを平準化したものを日本の常識として捉えていただけではないのか。そしてそれは何かによって作り出されているのではないか。

そしてどうやらそれはあらゆる制度を通して、この日本以前の場所に押し付けられているようでした。彼らは時にそれを拒否しつつ、上手く折り合いをつけながら生きていました。そんなふうにはなりたくないと思いつつ、上手く妥協しているようでした。そして私もまた、あんなふうにはなりたくないと思いました。

深夜のコンビニで、「箸一つ」と申し出た客に対して、店員の小汚い婆さんが「一膳ですね」とわざとらしく嫌味を返すような無礼講は、日本の常識ではまぁ考えられないわけですから。

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それからというもの、私のアイデンティティは「日本人」から「関東人」に変わりました。特に地元愛が強いわけではないけれど、自分が関東的な思惟で生きていることを否定できなくなったのです。だから留学でいざ外国に出てみても、全く日本の代表になりきれなかった。日本ではどうなんだ、日本人はどう思うんだ、と聞かれても、私はこう思うけど、とお茶を濁す位のことしかできないのです。そしてあろうことか日本からの留学生は皆そんな感じでした。その点では東南アジアの学生にすら負けているのです。

これは日本の愛国教育云々の問題ではなく、日本の性質と近代化の過程に原因があるのでしょう。自分が日本を代表するなどおこがましい、と考える羞恥心があるのももちろんのこと、日本は歴史的に、気質的に世界が日本国内で完結しているようなきらいがある。だから郷土意識こそあれど、個人として日本人である、という意識は元来持ちにくい風土なのでしょう。

そして明治維新と戦後の二段階に分けて、日本は自国の生活様式をかなぐり捨ててしまいましたから、普通に生活していても「日本的なもの」に触れる機会などありはしない。ゆえに日本人としてのアイデンティティは認識し辛いし、京都人は京都人だと殊更思い込むのだと思います。

最後に皮肉なことをいいますが、「英語を第二公用語とし、日本を多様性ある多民族社会に変える」としている茂木敏充氏は、次期首相に最も近いポストに居る政治家です。河野さんがなるか、茂木さんがなるかは微妙なところですが、早い話、そうしてもらったほうが余程日本人としてのアイデンティティが根付き、国旗の存在も生きてくるのではないでしょうか。

この記事を書いた人

『TRANS JOURNAL』編集者なり。神奈川県出身。京都外国語大学外国語学部卒。在学中に上海師範大学に留学。卒業後は製紙会社などに勤務。翻訳もたまに。ここでは興味の赴くままに、イギリス帝国や中国に関する記事を執筆。