これでも住みたい街ランキング1位 悲劇の衰退都市・本厚木に住むメリットはあるのか

住みたい街ランキングの1位に故郷本厚木が輝いた。コロナ禍で人々の関心が郊外に向いているためらしいが、実感が沸かない。あの街の何が良いのだというのが率直な感想である。

東京が近いとは言い難いし、海があるわけでもなければ、何か立派なランドマークがあるわけでもない。都会というには物足らないし、田舎と呼ぶには栄え過ぎている。また小田原のような地方都市の風情は無いし、首都圏の一員にしてはやや浮いた存在だ。ようは中途半端なのである。

本厚木を関西で例えるならば、枚方や明石のような街が野洲か三田にあるような感じだろうか。枚方は大阪や京都が近く、明石には海があり、野洲や三田は環境の良さが売りなのだが、そこから長所だけを奪ったのが本厚木だ。

僕は生まれてから高校を出るまでの間、ずっと本厚木に住んでいた。しかし本厚木に住んでいたために、何か社会的なメリットを享受できたことは一度も無い。僕が大学生活を過ごした京都では、山科を筆頭に亀岡や宇治、長岡や城陽を洛外と見做し、容赦なく蔑む文化が存在していたのだが、そこまで露骨ではないにせよ、本厚木は神奈川県内でも相対的な地位が低いのではないだろうか。

横浜や湘南といった、神奈川県内のおしゃれな他地域の人からすると、本厚木は「微妙」というのが定説であり、そこに街が存在することすら知らない人も多い。小手指や東武動物公園のような、何もない折り返し駅のように思われていることもある。だからたまに都会から人を連れてくると、こんな場所にこんな街があったのかと驚かれることもあるのだけれど。

相模川を渡れなかった相模鉄道

本厚木をここまで半端な存在たらしめた最大の原因は、相鉄線こと相模鉄道の市内乗り入れを実現できなかったことにあるだろう。現在横浜と海老名を結んでいる相模鉄道は、もともと横浜と厚木を結ぶために設立されているのをご存じだろうか。

それがあろうことか資金難で相模川に橋を架けられず、また厚木市内で地主の反対に遭ったために、対岸の海老名を終点とすることになってしまった。昭和の一時期には海老名から小田急線に直通して本厚木まで乗り入れていたこともあるのだけれど、小田急線のダイヤが過密になったためにこれも打ち切られてしまった。


今でこそ再開発でショッピングモールやタワーマンションの立ち並ぶ海老名だが、僕の小さい頃には何もなかった。駅前なのに延々と田んぼが広がるようなそれこそど田舎で、デパートや企業拠点の集積する厚木とは天と地ほどの開きがあった。そんな場所を終点としなければならなかった相模鉄道はさぞ心外だっただろう。

それが2000年代に入ると、小田急線と相鉄線、JR相模線の交叉する交通の要所ということで再開発が始まり、海老名は瞬く間に発展した。そのため小田急線しか鉄道路線が無く、ただ宿場町というだけで栄えていた隣の本厚木は客足を取られてみるみる衰退していった。デパートは潰れ、映画館はなくなり、代わりにできたのはパチンコ屋と朝からやってるキャバレークラブ、サービスタイム3,500円のピンサロくらいなものだろうか。

いかがわしいお店の多い裏通り

こうして取り柄の無いB級都市に成り下がってしまった本厚木だが、もし相模鉄道の乗り入れが実現していれば様相は違っていた筈だ。横浜と対をなす神奈川第二の拠点都市として、大きな発展を遂げていたのかもしれない。周辺の市町村を併合して、政令指定都市になっていたのかもしれない。ただ相模鉄道が相模川に橋を架けられなかったために都市の軸がぶれ、本厚木を、いや神奈川県央地区全体を中途半端な存在に押しとどめてしまったのである。

相模鉄道には今からでも延伸に取り組んでもらいたいものだが、海老名が発展した今となっては実現は困難だろう。

それでも本厚木に住むメリットは

ではそんな終末都市にも思える本厚木に敢えて住むメリットなどあるのだろうか。勘違いしないほうが良いのは、住みたい街ランキング1位になったからといって社会的メリットが増えるわけではないことである。

例えば東京に住んでいれば、それなりに高度なスキルを持った人と知り合うことができるし、そこからビジネスに発展することがあるのかもしれない。或いは演劇を志すなら、下北沢の本多劇場のあたりに住めば、同志からいい刺激をもらえたりするのかもしれない。

だが本厚木ではそうはいかないだろう。一度住んでみれば、その文化レベルの違いをひしひしと感じるはずである。駅前で、一番街で、赤い風船ビルで、はとぽっぽ公園で、たむろする夥しい数のヤンキーが、あくまでこの街の主役なのだ。生活の質を期待して移住するような東京の人間は、邪魔されるということはないせよ、彼らから奇異の目で見られることが多々あるかもしれない。

なので今回の話は、あくまで東京に人的交流の拠点をもつ人が、テレワークの実現により、東京にほど近い場所で、より良い環境とより安い家賃を求めるなら本厚木がおすすめ、という程度の受け止め方にとどめておくべきだろう。生まれた街だからこそ強く思うが、ゼロから何かを始めるのに向いている街ではないのである。

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逆に言うと、今後東京から流れてくるような高度な人材を受け止められるだけの街を作ることができるならば、本厚木は発展するということだ。似たり寄ったりの商業施設や遊技場を作るだけではそういう人たちを押しとどめておくことは当然できないので、より文化的ななにか、より高度なななにかで空洞化した隙を埋める必要があるのではないか。

それさえできれば、首都圏郊外の中堅都市としてはそこそこ良い位置にある本厚木は成功すると僕は思う。厚木市には鉄道路線こそ小田急線しかないが、道路は東名、新東名、圏央道、小田厚、R246、R129、R412という名だたる幹線が集結しているので、どこへ行くにも便利なのだ。本厚木に住んでいれば、必ず充実した週末を過ごせることを保証する。

北部・西部には美しい自然も

自然と距離が近いのも、本厚木の素晴らしい魅力だろう。今思うと、放課後の清流での鮎釣りや広大な森林公園での虫取りなどは首都圏在住では普通できない贅沢な遊びであった。

子どもを広々とした環境で育てることにより気宇壮大な人格が形成されるといわれるが、各種支援制度(中学卒業まで医療費無料など)と相まって厚木は子育てには最適な街なのではないだろうか(地区は必ず吟味すべきだが)。

そして何より西に聳える大山の雄姿は、富士山のような成層火山、或いは穂高のようなアルプス系の山に引け劣らない美しさが自慢だ。空気の澄んだ秋の日の朝などに、ヒヨドリの声を聴きながらくっきりと聳える大山を眺めるのは、厚木でしか味わえない最高の贅沢だと思っている。

この記事を書いた人

『TRANS JOURNAL』編集者。神奈川県出身。京都外国語大学外国語学部卒。在学中に中国・上海師範大学に留学。卒業後は製紙会社などに勤務。なお、ここでの専門はイギリス。パンと白米があまり好きではなく、2020年にじゃがいもを主食とする生活を目指すも挫折する。