中国からふらっと陸路で行くベトナム 広州からハノイまで、友諠関越え800キロの旅路

2019年11月、悪化する香港情勢と警察の登場に嫌気が差した私は、中国からの脱出を画策します。広州から陸路で最も近い国、それはベトナムでした。初の中国語圏外にやや怖気づいていましたが、現地では素晴らしいグルメと出会うことに。

※この記事は、2019年秋の中国旅の続編です。

香港の情勢がいよいよ危なくなってきた。11月11日、警察がデモ隊に実弾を発砲し、デモ隊は口論となった男性に火を放った。日本人観光客が一人、中国人観光客と間違われ殴打された。

香港から北に100キロ離れたここ広州は今のところ平和だが、Twitterを見るといつも親中派とデモ隊の間で激しい情報戦が繰り広げられている。

「今日○○で警察が市民に××しました。」「暴徒が○○で親中派を襲撃して××になりました」

というツイートがタイムラインに溢れかえっているが、これは世界の世論を誘導するための両者の攻防で、どちらも元締めの影がちらほら。

またか・・・

中国という国と関わりを持つと、自動的にイデオロギー闘争に巻き込まれてしまうという方程式が僕の中にはある。

今は中国と香港の対立関係。ちょっと前なら歴史問題における左翼と右翼の対立関係。尖閣問題。最近ではビジネスや恋愛に関することでの煽りも目立つ。

日本人の中にはまだ中国のことを馬鹿にしている人も居るし、中国人は日本のこととなると意地を張る。

そういうのが嫌で台湾に行っても、君の華語は北京の中国語だねとか言われてしまう。

ただ旅をしているだけなのに、イデオロギーの渦がたちまち僕を飲み込んでゆく。ただ純粋に、旅をしたいだけなのに。

大学に入学した2011年以来、僕は専ら中国と関わり続けてきた。僕のパスポートには31個の入国スタンプが押されているが、そのうち28個は中華人民共和国で、3個は中華民国だ。

だがここに来て、もうイデオロギー闘争にはうんざりしてしまった。歳を取ってしまったのか。一度外の世界へ出て、気分をリセットしたほうがいいのかもしれない。

こうして、僕は一度中国を離れてみることにした。17日で滞在期限も切れるので、丁度いい機会だろう。向かうは、ベトナム。広州から飛行機を使わず、陸路でひとまずハノイを目指そう。それからのことは、着いたら考えればいい。

こうして、僕の中越陸路国境超えの旅は始まった。

高速鉄道で広州から南寧へ

広州から陸路でベトナム・ハノイを目指すには、一度南寧という辺境の街へ出て、そこから国際列車かバスに乗らなくてはならなかった。

南寧は広州から西へ約500キロ進んだ場所にある、広西チワン族自治区の中心都市。ベトナムやラオスが近いためか、どこか東南アジアの香り漂う街らしい。

広州から南寧へは、新しく開通した高速鉄道が頻繁に出ているようだ。所要時間は3時間。少し前まで、広州から南寧へ行くには客車列車で一晩かかっていたのだが、中国の高速鉄道網はいよいよ辺境の街さえもカバーしつつあるようだった。

南寧へ向かう高速鉄道は広州南駅から出発する。広州南駅は広州における高速鉄道のハブ駅で、中国各都市へ向かう高速列車が発着している。

中国の鉄道旅で微妙だなと思うのが、駅にあまり旅情を感じられない点。特に最近できた高速鉄道の駅はそれが顕著で、主要駅となるとまるでサッカースタジアムのようだ。巨大なコンクリート造りの駅舎。奥がかすむほどの広い空間。がらんとしていて冷たいコンコース。

確かに、行き先が多数存在し、人の多い中国の駅がこのような造りになってしまうのは仕方ない。しかし、日本のサイズ感と色温度のなかで育った我々にとって、そこは親しめる空間とはいえなかった。

今回南寧まで乗車するのは、最速達のD206列車。他の列車では南寧まで3時間以上かかるのに対し、D206列車は2時間46分で駆け抜ける。途中の停車駅はない。

D206列車は、日本の東北新幹線の車両がモデルとなった「CRH2型」だった。フォルムはもちろんのこと、車内のインテリアや座席の柄も同一だ。この車両に乗っていると、少し東北へ向かっているような気分にさせてくれる。亜熱帯で乗る東北新幹線。

D206列車の車窓風景は素晴らしかった。広東省から広西チワン族自治区に入ると独特なカルスト地形が出現し、桂林を思わせる山水画の世界が眼前に広がった。天気は雨だったが、それがかえって良かったのかもしれない。

18時08分、D206列車は定刻通り南寧東駅に到着した。最近、中国の鉄道があまり遅れなくなった思うのは気のせい?

駅にあった整形外科の広告。南寧では整形手術は当たり前?

美女の街として有名なのが、四川省の成都市。だがここ広西チワン族自治区の南寧はその逆で、中国屈指のブスの街だと言われている。ネットの掲示板を見ると、南寧の女性を揶揄するあらゆる書き込みを見ることができる。それは果たして本当なのだろうか。折角南寧を訪れるのだから、その真偽のほどを確かめたかった。

僕の故郷である神奈川県には、神奈川三大ブス校なる言われが存在した。日大藤沢、東海大相模、桐蔭学園のことである。面白いことに、頭文字をとってNTTなんて呼ばれたりもしていた。

しかし、その三校の子たちが本当にブスばかりなのかというと、決してそんなことはなかった。

この三校に共通するのは、どれも私立高校で、制服の着方や髪型、メイクに関する指導が徹底しているところ。真面目なタイプの子が多く、きっちりしている印象で、むしろ好感が持てるほどだった。

しかし、神奈川県央地区の公立下辺校を牛耳るヤンキーたちはそれが気に食わなかった。だから、自分たちの価値基準とは違う、真面目な格好をしている私立の子をブスだと決めつける。

少数民族の多い南寧でも、同じようなことが起きているのではないか。

南寧のチワン族の人々を観察していると、頬が大きく、彫りが深く、目が細いということがわかった。漢民族と比べると若干原始的な顔立ちともいえるが、決してブスばかりというわけではなかった。ただ、漢民族の基準から少し離れているというだけなのだろう。

そのことがチワン族の女性たちにコンプレックスを与えているとしたら、悲劇だ。もしかすると、彼女たちには東洋人が白人社会で生きていくような辛さがあるのかもしれない。

そのためなのかは分からないが、駅では最も目立つところに整形外科の広告が掲示されていた。

夜の南寧をふらふらする

南寧からベトナムハノイへは、国際列車でもバスでも行けるようだった。だが国際列車は深夜に2度もパスポートチェックで起こされ、更にハノイの着駅が郊外になってしまうことから今回はバスをセレクトした。

▲南寧で泊まった睡得安ホテル站前店。おすすめです。

ハノイ行きのバスは、南寧駅近くの国际旅游集散中心から出発する。駅近のホテル、睡得安酒店にチェックインし、明日のチケットを買いに行ったが国际旅游集散中心は夜8時の時点でもう閉まっていた。ならば明日、出発前にチケットを買うしかない。

折角なので、南寧で有名な中山路夜市を歩いてみた。広州もそうだが、温暖な中国南方は夜に出歩いて夜食を食べる文化がある。平日だというのに、この日の夜市も沢山の宵っ張りたちで賑わっていた。

僕が食べたのは、老友粉という南寧ご当地のビーフン。ニンニク鶏がらベースの広東省のビーフンとはひと味もふた味も違う、ピリ辛エスニック風味のスープが身にしみた。東南アジアはもう目と鼻の先なのかもしれない。

▲中国/アジアでのホテル予約はTrip.comがおすすめです!

ハノイ行き国際バス 中国側

翌朝、少し寝坊して10時半にバスターミナルに着いた。すると10時20分のバスが行ったばかりで、次は12時50分発だという。所要時間は8時間。ベトナムは初めての国なので、明るいうちに着いておきたい。

明日の便にしようかと一度マクドナルドで悩んだが、時間を持て余すのはよくないのでベトナム行きを強行することにした。

再びバスターミナルへ向かい、僕はその場でチケットを買った。177元。そのうち5元は保険料で、事故のさいに20,000元の医療費と、100,000元の死亡保険が下りるようになっている。

12時50分、バスは定刻通り出発した。途中琅东のバスターミナルに立ち寄り、一路中越国境を目指す。

中国からベトナムへ渡るには、いくつかのルートがある。一つは、東の沿岸部、東興からモンカイへと抜けるルート。二つ目は、最もポピュラーな友谊关を越えるコース。三つ目は、雲南省河口からラオカイへと抜けるルートだ。

南寧からのバスが通るのは、二つ目の友谊关を越えるコース。調べてみると、このバスは中国側国境の友谊关までで、友谊关からは徒歩で国境を通過し、ベトナム側からは別のバスに乗るのだという。

珠海マカオや深圳香港のイミグレは何度も通過してきたが、本物の国境を徒歩で越えるのは人生初。しかし、あまりに簡単にバスのチケットが買えてしまったため、これから国境を越えるのだという実感は無かった。

バスは高速道路を物凄いスピードでかっ飛ばす。風景は基本的に水田か畑。暫くすると、昨日列車のなかから見た山水画のようなカルスト地形が出現した。

2時間ほど走ったところで、少しベトナムへ行くのが怖くなってきた。僕はこれまでの人生で、中国以外の外国に行ったことがない(台湾も自称中国)。なので中国以外の国に対する偏見がひどかった。

東南アジアに行けばストリートチルドレンに身ぐるみを剥がされ、アメリカに行けば銃乱射事件に巻き込まれ、ロシアに行けば深夜のノックで秘密警察に連行されると本気で思っている。

今回のベトナム行きは、軽はずみな行動だったのかもしれない。生きて日本に、そして中国に帰ってこれるのだろうか。そんな思いが頭をよぎった。

16時35分、バスは友谊关の手前でトイレ休憩となった。運転手はここで両替とSIMカードの手続きができると言っていたが、両替商もSIMカード屋も怪しかったので見送ることにした。今思うと、このタイミングで少しだけ両替しておけばよかった。

16時56分、バスは遂に中越国境の友谊关に到着した。駐車場から出国審査場へは、电瓶车と呼ばれるゴルフ場のカートのような乗り物で向かう。カートは有料らしく、同乗者で割り勘ということになったが、何故か僕は払わなくてよいことになった。

駐車場から5分ほどで出国審査場についた。ここからベトナムへ向かうのはベトナム人が大半で、台湾人や香港人の姿もあった。中国大陸の旅行客は少なく、日本人はもちろん僕一人だ。あらぬ疑いを掛けられなければいいのだけど。

中国-ベトナム国境 出国審査は厳しめです

友谊关での出国審査はかつてないほど厳しかった。僕はこれまで30回ほど中国を「出国」してきたが、審査官に質問されたことは一度もなかった。しかしここ友谊关では、中国語であらゆる質問をされた。

Q:中国に何しにきたの?
A:旅行です。
Q:中国には頻繁に来ているようだけど、どうして。
A:大学のときに中国語を勉強していて、中国に興味があるからです。
Q:香港に行っているね。どうして。
A:香港国際空港から中国に渡るためです。
Q:マカオと中国、どっちに泊まってたの。
A:中国です。
Q:台湾に行ったんだね。
A:金門島に行きました。
Q:香港にはいつ入ったか覚えてる?
A:9月14日です。
よし。ガコンッ。

審査官は年下の女性だったが、なかなかの圧迫面接だった。こんな山奥の国境に日本人なんて来ないのだろう。それに僕は珠海とマカオの間を何往復もしていたので、猶更怪しまれた。別室送りも覚悟したが、無事事なきを得た。やれやれ、中国語の質問攻めでこんなに緊張したのは派遣留学の選抜試験以来である。彼女はきっと、夜も攻める派なのかもしれない。

徒歩で中越国境を渡る

中国の出国審査を終えると、ベトナムのイミグレまでは歩いて向かう。緩衝地帯は広場のようになっていて、記念撮影ができるように展望台も設けられていた。写真のコンクリートの色の境目がまさに中国とベトナムの国境である。

今でこそ「友谊关(友好の関)」と名付けられ、平和になった中越国境だが、実は1979年以来、10年に渡る紛争が続いていた。カンボジアのポルポト政権を倒しにかかったベトナムに、当時ポルポト政権の支援国であった中国が報復攻撃をしたのが始まりだった。かつてこの辺りには地雷が大量に埋められていて、多くの人が触雷して亡くなったらしい。

当時の痕跡や緊張感のようなものは一切感じられなかったが、両国の紛争による死者は数千人に及んだという。

暫く記念撮影していると、見慣れた武装警察とはひと味違う軍服の兵士が現れた。ベトナムの国境警備隊だろう。武装警察よりも緑が濃く、帽子が大きい。イミグレの国章といい、兵士といい、見た目の共産色があまりに強かったので、ベトナム行きがますます不安になってきた。

だが一度中国を出国してしまった以上、戻ることはできない。言葉の通じない共産国で何が起きるか分からなかったが、意を決してベトナムに入国することにした。

ベトナムの入国審査は簡単だった。特に書類を書く必要もなく、何を疑われることもなく、あっさりスタンプを押してもらえた。

僕はベトナムで、入国拒否に遭うことを恐れていた。ベトナムにビザなしで入国するには、帰りの航空券、または第三国へ向かう交通機関のチケットを持ってなければならないというルールがあるからだ。草の根ビザなしパッカーの僕は、そんなもの勿論用意していない。

インターネットで帰りの航空券なしで入国できたという情報は確認済みだったのだが、なにせここは山奥の中越国境。日本人が居るというだけで、何かを疑われてもおかしくない。最悪の可能性も想定していたが、何事もなく入国できてしまった。これで15日間、ベトナムに滞在することができる。

ちなみに、ベトナムでは中国のように入出国を繰り返して滞在し続けることはできない。ビザなし入国の場合、前回の入国から30日以上開けなければ再入国できないというルールがあるためだ。まぁ、15日経ったらラオスかカンボジアへ抜けてもいいし、そろそろ一時帰国するのもありだ。

入国審査場を出ると、再びカートが待っていた。ここで注意が必要なのが、同じカートにベトナムの別の行き先の人も乗る点。途中で別の行き先の人を確認しながら下ろしていたので、係員にハノイへ行くということを伝えておいたほうが良いだろう。

駐車場に着くと、ハノイへ向かう緑のバスが待機していた。せかされつつ乗車すると、バスはすぐに発車した。

ハノイ行き国際バス ベトナム側

ベトナム時間は日本より2時間、中国より1時間遅れている。この時点でベトナム時間の5時を回っていたため、辺りは既に薄暗かった。

ベトナムの風景を眺めて思ったのが、街のスケールや建物のサイズが日本に近いということ。中国の大き過ぎる、広過ぎる街の造りにやや疲れていたので、外を眺めているだけでホッとした。

途中、中国からハノイへ伸びる鉄道路線と併走した。ベトナムの鉄道の線路幅は1,000mmだが、中国は1,435mm。なのでこの区間はレールが3本敷いてあり、ローカル列車と国際列車が同じ線路を走れるようになっている。

同じような例は日本にもある。箱根登山鉄道の小田原-箱根湯本間が最も有名だろう。これは箱根登山鉄道に小田急線を直通させるための措置だ。

途中、道の駅のような場所で20分の休憩があった。バスの中で待機していると、運転手に降りろと言われたので仕方なく降りる。

道の駅にはフードコートがあり、フォーなどのヌードルがいただけるようだ。初めてのフォー。さっそく一杯いただこうと思ったが、ここでベトナムドンを一銭も所持していないことに気づく。あぁ、あの時、両替商に換金してもらえばよかった。今必要なのは毛沢東ではなく、ホー・チ・ミンなのだ。

7時50分、再びバスに乗り、ハノイを目指す。バスは対面通行の道路を物凄いスピードで飛ばし、遅い車が居ると対向車線に出て容赦なくぶち抜いた。これがアジアの感覚なのだろうか。正直かなり怖かったが、まぁ僕は誰かに対する責任を負っているわけではないので何かあっても何も起きないだろう。

フォーにありつけなかったハノイの夜

ベトナム時間の午後9時、バスはようやく終点のハノイに到着した。南寧からは9時間10分の旅路だった。特にバスターミナルに着いたわけでなく、市街地の外れの通りにひとりぽつんと取り残された。

すぐさまAUの海外ローミングを起動し、場所の確認とホテルの予約を行った。ベトナム初のホテルは、ハノイ市街地のOYO 216 Alishaホテル。都心部で一泊1,400円ほどと、良心的な価格設定だ。

ホテルに着くと、フロントの兄さんが実に感じよく対応してくれた。中国の居丈高な接客にすっかり慣れてしまっていたので、あまりの物腰の柔らかさに思わず感動してしまった。

チェックインを済ませると、早速フォーを食べようと街に繰り出す。しかし、キャッシングできるATMがなかなか見つからない。ようやく見つけたBIDVのATMでとりあえず500,000ドンを引出し、フォーのお店を探すも店は全て閉まってしまった。例えハノイの中心地だろうと、深夜まで営業しているお店はあまり無いようだ。

この日は結局、フォーにはありつけなかった。サークルKで買った48,000ドンのキムチ弁当をつつきつつ、頭はフォーのことでいっぱいだった。

広州からハノイまで 中国⇒ベトナム陸路国境越えの費用まとめ

長寿路→広州南駅 地下鉄 6元/93円
広州南駅→南寧東駅 D206次列車 169元/2,623円
南寧東駅→南寧駅 地下鉄 4元/62円
南寧ホテル 睡得安酒店 137元/2,126円
老友粉(ご当地ビーフン) 15元/232円
マクドナルド CBセット 20元/310円
南寧→ハノイ バス 177元/2,747円
計 528元/8,194円

※日本円は2019年11月17日のレートです。

▲中国/アジアでのホテル予約はTrip.comがおすすめです!

にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ

この記事を書いた人

『TRANS JOURNAL』編集者なり。神奈川県出身。京都外国語大学外国語学部卒。在学中に上海師範大学に留学。卒業後は製紙会社などに勤務。翻訳もたまに。ここでは興味の赴くままに、イギリス帝国や中国に関する記事を執筆。