革命の風が吹いた宋代の古村・江西省富田村を訪れて

2019年秋、私は中国の歴史を語る旅に出ました。のちに「中国ディープ旅」と命名されるこの旅は、一介の日本人による大陸見聞録へと発展。何かとキニナルあの国ですが、そこには日本の常識を覆す大陸ならではの光景が・・・。

革命の風が吹いた街、吉安

赣州駅前の食堂で小炒魚を食べた後、僕は列車で吉安へと向かった。吉安は赣州から北に200キロほどの場所に位置する江西省中部の街だ。近くに聳える急峻な井冈山という山は、かつて革命軍の根拠地となった場所として有名である。

▲赣州から吉安まで乗車したT212次列車

時は1927年、蒋介石率いる中国国民党は、第一次国共合作で一時協力関係にあった共産党の再弾圧を始めた。そこで当時軍隊のなかった共産党は、国民党軍の一部を寝返らせることにより武力を獲得し、江西省南昌にて武装蜂起を敢行した。革命軍は激戦の末一時南昌の掌握に成功したが、その後たちまち国民党軍に包囲され、まもなく南昌からの撤退を余儀なくされる。南昌を出た革命軍は次に広州の攻略を目指すも失敗し、途中の戦闘や逃走により兵の数は激減。南昌での蜂起時には約2,0000人居た革命軍は一時は1,000人を割ってしまった。

しかし、その後革命軍は行軍の最中に農民からの支援を受け、体力を回復。やがて井冈山にたどり着いた彼らはそこで自給自足の革命根拠地を設立し、国民党軍撃退に備え準備を進めることになった。彼らの井冈山での山籠り期間は2年4ヶ月に及んだという。

僕が吉安に立ち寄った理由は、富田古村という1,800年前から今に残る集落を訪れるためだった。ネットでの情報によると、宋、元、明、清代の建物がそのままの状態で保存されていて、中世以前の中国の生活様式を垣間見れる場所らしかった。その上、富田古村は井冈山を下りた革命軍に一時拠点とされていたそうで、内部には当時のプロパガンダがそのまま残されているらしい。中国歴史マニア激熱のスポットといえるだろう。

[PR]天児慧 中華人民共和国史 中華人民共和国の歴史を客観的に知りたい方におすすめの書

バスターミナルでかました
ニーハオトイレの思い出

吉安駅の青原バスターミナルから富田鎮へ向かうバスは一日4本しかなかった。ターミナルの窓口で、富田までの往復乗車券を買いたいと告げると、帰りのバスのことは向こうで聞けと突っぱねられた。では時刻表はないのかと訊くと、そんなものあるわけないと一蹴された。スマホで検索しても帰りのバスの情報が出てこない。最悪、富田からはヒッチハイクで戻ることになるかもしれないが、それはそれで面白いだろう。

▲吉安県中心部の様子

翌日、僕は出発の30分前に青原バスターミナルに着いていた。待合所ではTwitterなどを見つつ、20分ほど平和に過ごしていたのだが、11時50分を過ぎたところで急にお腹が痛くなった。中国で催す便意はいつも強烈だが、今回のは殊更強烈だった。きっと昨夜つい食べてしまった、重慶風味の辛いタケノコの漬物が災ったのだろう。胃腸をコーティングするため、わざわざ蒙牛の乳酸菌飲料を合わせ飲みしたのに効果がなかったようだ。いや、それが逆にいけなかったのかもしれない。バスの出発まではあと9分。僕は一目散にターミナルのトイレへとダッシュした。

▲富田へ向かうバスの出る青原バスターミナル

青原バスターミナルのトイレは、俗にいうニーハオトイレだった。用を足すスペースは仕切りで区切られているだけなので、人が来たら丸見えだ。僕が初めて中国に来たのは2011年。それ以来ずっと、ニーハオトイレで用を足すことを避けてきたのだが、ついにデビューする日が来てしまったようだ。

いや、もう富田村へ行くのは諦めて、明日から別の場所に行こう。僕はそう思って一度トイレの外に出たのだが、ここでふと、何のために仕事を辞めてまで中国に来たのかを思い出した。それは日本の人たちに、中国旅の面白さを伝える為ではないのか。これは学生時代の旅とは違う。僕には目的があるんだ。今日僕は絶対に富田村に行かなくてはならない。トイレの中では何人かのおじさんがタバコを吸っていたのだが、僕は意を決してハッチを開放することにした。

▲溝に跨って用を足すようになっている

トイレから出ると、時刻は既に11時57分だった。改札口へダッシュすると、係員のおばさんに物凄い形相で怒られた。「まだ改札してないのはお前かっ!改札は10分前までにしておくことになってるだろっ!みんなアンタのこと待ってんだよ!急ぎなさい!」そんなことで怒られるのは小学生以来である。

おばさんの勢いに委縮しつつ、急いで改札を抜けると、外ではなんと運転手がターミナルの出口にバスをつけて待っていてくれた。「早く乗れ!みんな待ってるんだぞ!」どうやら名簿の人数と乗客数が合わないので、わざわざ僕を待っていてくれたようだ。有難い。僕は運転手にお礼を言って、そそくさとバスに乗り込んだ。

▲ピカピカだった富田鎮へ向かうバス。床は木目

僕が学生だった頃、中国のバスは本当に汚かった。半分壊れかけのシートはシミだらけ、床はゴミだらけなんてザラであった。しかし、中国のバス事情はこの7年で見違えるほどに改善していた。ピカピカの皮張りシートに、床はまさかの木目調だった。先日広州から珠海へ行くバスもピカピカであったが、まさか江西省のローカル路線でこんなに綺麗なバスに乗れるなど想像もつかなかった。

バスで富田古村へ

綺麗なバスで快適な時間を過ごすこと一時間、バスは富田鎮に到着した。バスの終点はここではないので、運転手が声を張り上げて富田に着いたことを案内していた。他の停留所ではそんなことはしていなかったので、もしかすると不慣れそうな僕が富田で降りることを知っていたから案内してくれたのかもしれない。富田で下車したのは僕一人だった。

▲富田鎮のバスターミナル 吉安行きのバスが待機していた

富田鎮はのどかな場所だった。緯度は沖縄と同じくらいなので10月でも暑かったが、どこか夏の山梨のような清涼感があった。バス停から乗ってきたバスの進行方向に向けて少し歩くと富田景区入口の看板がありるので、それに従ってアクセスしてほしい。

この川を渡ると、すぐそこに古村の入り口がある。ネットの情報では入場料が必要とのことだったが、入場料を取るような施設は見当たらない。そのまま古村内部へと足を進めると、そこはまるで異世界だった。

中国の南方によく見られる古民家だ。石の煉瓦造りで、屋根は廟のようになっている。富田古村では新しい部類の建築だろう。

古村の奥へ進むと、特徴の違う朽ち果てた家屋が混じり出す。これが宋-元代の家屋なのかもしれない。

朽ち果てた家屋には生活の痕跡があった。農業を生業とする人たちが、今なおここで生活を営んでいるようだった。

古村内部の壁や廟には所々革命軍が残したスローガンの跡がある。富田を後にした革命軍は瑞金へと向かったのだろうか。そして彼らにはその後、過酷な長征が待ち受けているのであった。

一歩古村の外に出ると、そこには古民家の映える素晴らしい田園風景が広がっていた。空気も美味しく、一日のんびりと豊かな時間を過ごせたように思う。中国にはこのような美しい穴場が星の数ほどあるので、あなたもマイスポットを開拓する旅に出てみてはいかがだろうか。

ちなみに、帰りのバスは富田のターミナルから青原行きの路線バス(行きの高速タイプではない)が高頻度で運行されていた。帰れなくなるということは無いので、皆さんも安心して訪れてもらいたい。

この記事を書いた人

『TRANS JOURNAL』編集者なり。神奈川県出身。京都外国語大学外国語学部卒。在学中に上海師範大学に留学。卒業後は製紙会社などに勤務。翻訳もたまに。ここでは興味の赴くままに、イギリス帝国や中国に関する記事を執筆。