中国鉄道乗車記 広州から赣州まで、硬座車に揺られる7時間の旅路

2019年秋、私は中国の歴史を語る旅に出ました。のちに「中国ディープ旅」と命名されるこの旅は、一介の日本人による大陸見聞録へと発展。何かとキニナルあの国ですが、そこには日本の常識を覆す大陸ならではの光景が・・・。

ディープすぎる中国鉄道旅の幕開け

地図が好きな少年だった。誕生日にまっぷるのロードマップを買ってもらって、それを北海道から沖縄までくまなく読んでいたら視力が悪くなった。まだ訪ねたことの無い土地の地形や道路網、鉄道網などを眺め、そこがどんな場所なのか想像するのが楽しかったのだ。そして、その形が美しいとそこが行きたい場所になった。

お年玉を持って、親に内緒で勝手にその場所に行くことすらあった。今思うと、当時の地図での放浪が僕の放浪癖の原点になっているのかもしれない。そして時代の変化とともに、眺める地図はまっぷるからGooglemap、百度地図へと変遷していった。暇さえあれば、僕は今でもスマホで地図を眺めているのだ。

国慶節の連休最終日だった9月7日夜、僕は広州の安宿のベッドの上でひとり百度地図を眺めていた。混雑を避け広州でひたすら待機していた国慶節がいよいよ終わるというのに、まだ次の行き先が決まっていなかったからだ。数日前から予定を立てて、それ通りに旅行することが僕にはどうしてもできないので、いつも前日の夜か当日の朝に行き先を決めることになる。

それが吉と出る時もあれば凶と出る時もあるのだが、今回は果たしてどう運ぶのだろうか。

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無難な道を捨てる癖

今回の旅では、とりあえず列車で北に向かうことだけが決まっていた。一般的に中国の北部は秋が最も美しい季節だとされているので、冬になる前に一度放浪しておきたかったからだ。百度地図を眺めると、広州から北へ向かうには京広線の列車に乗るのがベストだということが分かる。

京広線は中国を南北に縦断する大幹線で、その途上には長沙、武漢、鄭州、石家荘といった名だたる大都市が連なっている。幹線なので行き交う列車も充実していて、京広線の花形列車である北京行きZ36次、前回安陽へ行く際に乗車した天津行きT254次などが視野に入ってくる。いっそのこと京広線で北京へ直行して、秋の北京を思う存分楽しもう・・・予約アプリで明日のZ36次を選択し、北京へのチケットを購入しようとしたその瞬間、どういうわけか手が止まった。

広州から北方へ向かうならZ36次が最良の選択肢であることは火を見るより明らかなのだが、僕の内に潜む何者かがそれに待ったをかけたのだ。「それじゃあ、面白くないじゃん。」悪魔の囁きが頭の中から聞こえてきた。僕が最良かつ最善で、最も常識的な判断を下そうとするときに決まって現れるあいつの声だ。そして次の瞬間、僕は赣州という未知の街へと向かう快速列車を予約していた。それも寝台ではなく、硬座である。

乗車するK729次列車の行程

「ああ、またやってしまった。」僕はふと我に返り、その衝動を後悔した。こうして僕は、いつも何者かに操られ、メジャーな道を歩むことを阻止され続けているのである。今回も例外ではなかった。ディープすぎる中国鉄道旅はこうしてふと幕を開けたのである。

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開幕早々駅を間違える失態

2019年9月8日、いよいよ広州を発つ日がやってきた。国慶節の期間中長らくお世話になっていた郊外の安宿をチェックアウトし、地下鉄2号線で広州駅へと向かった。在来線のターミナル駅である広州駅の周辺は、いつものように農村からの出稼ぎ労働者たちでいっぱいだった。彼らは日々の労働で真っ黒に日焼けしていて、油まみれの顔をくしゃくしゃにしながら駅の広場を右往左往している。

シャワーを何日も浴びてないような人がそこらじゅうで地べたに座っていて、ガサツな方言で何やらまくしたてている。彼らはやたら大きな声で話をするが、僕はそのガサツな方言を一言も聞き取れなかった。

広い中国には普通話と呼ばれる国が定めた標準語の他に、各地方の方言が存在する。広東語や上海語が有名だが、それらの方言は普通話とは大きく異なり(英語とドイツ語くらい違う)、普通話だけ勉強しても聞き取れるようにはならないのだ。

そして各方言のなかにも更に方言が存在し、同じ地方の都市部と農村とで全く話が通じなかったりする。そしてそのパターンが無限に存在するのである。だから中国人は皆普通話と方言のバイリンガルなのだが、なかには普通話を話せない人だって居る。やれやれ、僕は本当に途方もない国に来てしまった・・・。

彼らの中にはおもむろに物を売り始める人までいる。僕が初めて広州に来た6年前は、チマキやアヒルの卵、バナナなどの食品を売る者が多かったが、今ではモバイルバッテリーや謎のSIMカードを売る者まで出現するようになった。この日見かけたモバイルバッテリーはひとつ35元と破格であったが、本当に使って大丈夫なのだろうか。途中で発火したり、爆発したりはしないのだろうか。

広場の客引きや物売りをかわして、ようやく窓口にたどり着いた。窓口でアプリに記された予約番号を係員に告げると、彼女の表情が曇った。「ここじゃないよ、東駅だよ。」とだけ彼女は言った。しまった、どうやら僕の乗る列車は広州駅発ではなく、ここから東に7キロ離れた広州東駅から出るらしい。アプリで予約したときに確認しなかったのが悪かった。列車の出発まで2時間以上あるので間に合うが、今迄にない失態で首をかしげた。

中国の大都市にはメインのステーションの他に、東西南北どの方角にも駅があることが多い。広州には広州駅のほかに、香港直通の在来線列車と深圳行きの都市間列車が発着する広州東駅、広州駅の隣駅で規模の小さい広州西駅、高速鉄道のハブ駅である広州南駅、花都区の中心駅である広州北駅が存在する。広州東駅のメインは広九鉄路と広深線だが、一部長距離列車の発着があるようだ。仕方ないので広州駅の窓口で発券だけしてもらい、地下鉄を乗り継いで広州東駅へと向かった。

広州東駅の雰囲気は広州駅と比べて格段に良かった。一部長距離列車の発着があるとはいえ、基本的には深圳行きと香港行きのターミナルだからだ。そして駅は僕たちの砦イオンモールと直結していて、出発まで時間をつぶすことができる。何て素晴らしい駅なのだろうか。試しに地下の食料品コーナーを覗いてみると、コイ、フナ、ソウギョ、ライギョ、アオウオなどの中国で食べられる淡水魚たちが日本式に丁寧にパック詰めされていた。広州市民のイオンモールに対する評価はすこぶるいい。

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未知の街へ7時間の硬座旅

14時50分、赣州へと向かうK729次列車は広州東駅を出発した。硬座と呼ばれる最下等の座席車はいつものように満席で、また窮屈な旅が始まった。僕は7時間で下車するから良いが、この列車の終点は山西省の大同である。大同駅の到着時刻は二日後の朝5:29なので、38時間以上この座席に座り続ける人も居るはずだ。車内にはこれから始まる過酷な長旅を思い、憂鬱な表情を浮かべる人の姿が目立つ。寝台車の楽しそうな雰囲気とは違い、硬座車のそれはあまり気楽なものとはいえなかった。

硬座車の車内。窮屈なボックスシートが並んでいる。

列車が広州の東、东莞を過ぎたあたりで果物売りがやってきた。カットフルーツではなく、果物がそのままパック詰めされていた。ワゴンを覗いてみると、サンザシやナツメなど、中国らしい果物がぎっしり詰まっている。いまはナツメがいい季節で、街の果物屋さんにも山ほどのナツメが置いてある。よくリスになった気分でナツメをかじっているが、ほのかに甘くて癖になる味だ。そして僕が北国に着く頃には、サンザシが最盛期を迎えていることだろう。是非産地の東北で、とれたてのサンザシを味わってみたい。

果物売りのワゴン。サンザシやナツメが売られていた。

K729次列車は、东莞東駅の手前で広深線から京九線に転線した。京は北京の京、九は香港の九龍半島を指す。京九線も中国を南北に縦断する幹線だが、その途上の都市は赣州、南昌、商丘、衡水とどれも地味だ。

行き交う列車も快速列車が中心で、京広線の華々しさには遠く及ばない。そして京九線とはいうものの、北京と香港を結ぶ在来線列車は今では消滅してしまった。幹線とは名ばかりの、ローカル線に等しい存在だった。しかしそんな地味さ加減が、僕の心を動かした。まだ見ぬ世界が、その途上にはある気がしたのだ。今回の旅では京九線を北上して、北京を目指してみるのもいいかもしれない。もちろん、先のことは読めないが・・・。

恵州で検札する女性車掌

恵州では始発の達州行きが待機

列車が深圳の衛星都市、恵州に到着すると何人かの乗客が下車した。そしてまた何人かの人が乗ってきた。ずっとボックスシートに座っているのは窮屈なので、恵州からはデッキで立っていることにした。そっちのほうがドアの窓から自由に景色を眺められるので気分が良い。列車が恵州を出発すると、それまで平坦だった車窓の風景が一変した。列車はなだらかな山間を縫うようにして走り、徐々に標高を上げているようだった。

沢の谷筋には所々古民家の集落が点在している。石造りの、風情のある古民家だった。この辺りの建物は、やはり嶺南建築の要素を汲んでいるのであろうか。家の門が廟のようになっている。

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中国鉄道のボックスシートで頂く中華弁当の味

陽が山の稜線に沈むと、僕はもとのボックスシートに戻った。暫くスマホで原稿を書いたりしているうちに、弁当の車内販売がやってきた。1つ15元だという。この前特快の寝台車に乗ったときは1つ30元だったが、今回は何故か15元だった。列車や客車の等級によって値段が違うのだろう。15元なら割に合うので、僕は弁当を買うことにした。ボックスシートで弁当なんて、なかなか粋な旅ではないか。

車内で買った中華弁当。ボリューム感は満点だ。

こちらがその弁当。麻婆豆腐に野菜炒め、煮物、レンコン、ミートボールにご飯がついてたったの15元だ。味は大味で、美味しいとはいえないものの悪くはなかった。何より旅の気分を味わえるのが最高に良かった。今日はこの弁当を夕食としよう。

弁当を食べていると、車内の奥のほうから労働者たちが香港のデモについて討論する声が聞こえてきた。彼らはガサツな普通話で、小学生でも語れるようなありきたりなことを喋っている。途中で舌打ちを挟みながら、かっこつけて。それが妙に癪に障った。

当事者じゃあるまいし、彼らがどんなに熱く語ったところで、この世は何も変わらないのに。列車は深い夜の谷間を進行していた。谷底では道路の街灯の薄明かりが、時折ダム湖の水面を照らしている。やがてそれらの気配も消えると、列車はただ闇の中を進むのみとなった。

21時59分、広州から7時間の旅を経て、列車は定刻通り赣州駅に到着した。改札を抜けると、いつものように違法タクシーや宿屋の客引きが押し寄せた。「兄ちゃん、どこへ行くんだい、俺が乗せてってやるよ!」「あんた泊まるところはあるの?80元でどうだい。」この街の客引きはすこぶる威勢が良く、僕をたじろがせた。

しかしよく観察していると、彼らはなぜか笑顔であまりしつこさがない。見ているだけで気分が明るくなる、そんな客引きたちだった。ひょっとすると、この街はいい街なのかもしれない。そんな期待が頭をよぎった。

この記事を書いた人

『TRANS JOURNAL』編集者なり。神奈川県出身。京都外国語大学外国語学部卒。在学中に上海師範大学に留学。卒業後は製紙会社などに勤務。翻訳もたまに。ここでは興味の赴くままに、イギリス帝国や中国に関する記事を執筆。